Princess Parade

A diverging point

フィアノーラ:金姫
ヤドリギ:金髪ファーマー♂。フィアノーラの従者兼護衛の農民の少年。サブファランクス。

――大きな丸い、青い双眸を縁取る長い金糸のような睫が、ふるり、と震えた。
 少女の目は、羽ばたく蝶亭のある一席から見える夕日をじっとまっすぐに見据えている。
 周囲の光景を橙に染める、きつい日差しを正面から見つめながら、少女は動く様子もなく両手を組んでそこに顎を乗せた状態のままだった。
 少女は、美しかった。
 大きな双眸の中心は、よく見ると少々歪な形をしており、それは薔薇の花弁を思わせた。
 ふっくらとした頬はバラ色で、その白い肌はまるで上質な陶磁器のように滑らかであり、少女の背中にたらされた金の髪は大変に豊かで、その柔らかくもさらさらな髪は時折吹く風にあわせてふわり、と揺れている。
 桜色の唇は小さく、何か言いたいことがたくさんあるのに、あえてそれらを封じ込めているかのようにきゅっと引き結ばれている。
 白を基調としたドレスも、頭の中央に乗せられたティアラも、全てがその少女の美しさを彩り、引き立てる為に存在していた。
 この辺り一帯が夕日にてらされ、少女の肌を橙に染めたとしても、少女の心までは一片も染まらないだろう。そう、思わせる少女だった。
 そして、その少女に対峙する存在が一人、少女の向かいに座っている。
 それは、まだ年端もいかぬ少年のようだった。
 少女のものより少し濃い青い瞳は、大きめであるがやや切れ長で、その表面から感情をうかがい知ることは出来ない。
 金の髪を短く切りそろえ、緑の帽子を目深に被り、やはり緑を基調とした衣服を纏った少年は、じっと盾を抱え込んだままその口元のみに笑みを刻んでいた。
 少女の名は、フィアノーラと言った。
 最近名前を上げてきたギルド「フロウリーフ」の創設者であり、ギルドマスターである。
 元々「フロウリーフ」という国の第四王女であった彼女は、その祖国の名を自分のギルドの名に求めた。そして今、冒険者としてここにいる。
 彼女の向かいに座る少年の名は、ヤドリギ。
 彼はフィアノーラが国を出るのを手引きし、ここアーモロードまで連れてきた張本人である。彼が一体何を思いここまで導いてきたのか、その心中は庸として知れなかった。
 今彼女たちのギルドは第三階層の攻略も既に後半となっており、溶岩洞窟を抜けた先にある更なる深層へ向かおうとしている真っ最中であった。
 しかし、その矢先のことである。
 元老院に仕える青年クジュラに足止めをされ、彼女たちは現在海都側に付くか深都側に付くかの二択を迫られていた。
 ここに、二人だけでいるのもそのせいである。
 彼女たちには勿論彼女たちだけでなく、共に戦う仲間がいる。
 そんな彼らから少しだけ離れて、二人で考えることを彼女は選択した。
 桃色の髪を持つパイレーツであるカトレアは、自分の判断に従うと言ってくれた。他の二人……赤毛のモンク、イルネスもだが、片目を隠したゾディアックも反対はしないと言っていた。
 この先……どうしたらよいのだろうか。
 彼らの前に立ちはだかった金髪の青年を思い浮かべ、夕日を見つめたままフィアノーラは微動だにしない。
 時折瞬きが彼女の金糸の睫を振るわせるが、それだけだった。
 不意に、そんな平衡が破られる。
 夕日が最後の光を投げかけて水平線の無効に沈もうとした瞬間、今までぴくりとも動かなかったフィアノーラの肩が僅かに震え、その大きな瞳が潤んだかと思うと、瞬きと同時に一筋の雫が彼女の頬をつうっと伝い落ちていった。
「……姫様?」
 不意の涙に不安に駆られたのか、少年がフィアノーラを気遣うようにそっと呼びかける。
 しかしフィアノーラの表情に悲しみは浮かんでおらず、彼女は薄く微笑んでそっと首を振ると、柔らかい眼差しをヤドリギへと向けた。
「心配要りませんわヤドリギ。わたくしは何も、嘆いてなどおりませんから。ですから、安心してくださいませ」
「……では、今の涙は?」
 ほんの僅かに眉を顰めて問われたことに、彼女は再び笑って肩を竦める。
「……わたくし、思いますのよ。いいえ、国を出てからずっと考えていたことでしたわ。わたくしは今まで……守られて、いたのだなと」
「守られて……」
 狭い世界の中で、痛みから、怪我から、汚いものから、怨念や、怒り、恨みといった負の感情から、世界の裏側から、全てから。
 少なくとも自分の周りの使用人は、そういったものから遠ざけようとしていたと思う。幼い頃のある少年との出会いがなければ、自分は今もあの狭い世界の中でぬくぬくとしていたはずだ。
 世界は綺麗なもので出来ているのだと疑いもしない、幼い精神のままで。
「……ウノお兄様だけでしたね、世界が"そう"でないのだと教えてくれたのは。ただお兄様は知識だけで、実際に体験したのは、国を出てから……あなたと、出会ってからですわヤドリギ」
 現在はフロウリーフの国王をしているウノラルドの名前をさらりと挙げ、フィアノーラはヤドリギの顔をじっと見る。
「そうですね……」
 少年の笑みが一瞬だけ崩れる。その表情をなんと解釈したのか、フィアノーラの笑みが少しだけ深くなった。
「ねえヤドリギ……わたくし、何度でも言いますけど、あなたと来たこと、わたくしは絶対に後悔しませんわよ。この広い世界に出て来られたのは、あなたのおかげなんですから。怪我は痛いし魔物は怖いしギルドマスターとしての重圧はとてつもないですし、ベッドも固いし食事も、ここに来て随分変わりました。ですが……空は綺麗ですし海は気持ちいいですし空気は穏やかですし素晴らしい人も沢山いますし……何より、素敵な仲間に沢山出会えましたわ。感謝しています」
「姫様……」
「今の涙は、感謝の涙です。嬉しくても人は泣くのですのね、初めて知りましたわ」
「……僕は」
「あなたは?」
「僕は……僕も、姫様と出会えたことを、感謝しています……ずっと……」
「……ええ」
 それきり、二人ともずっと黙り込む。
 日が落ちた羽ばたく蝶亭は飲む客食事をする客も交えて大変賑やかであったが、どうしてか二人の周囲だけはまるで切り取られたかのように静かだった。
「……わたくしが、進む道はどちらだと思いますか?」
 いささか唐突にも思える問いだったが、ヤドリギはなんのことだかすぐに把握したものと見て微かに頷くと、フィアノーラをじっと見上げた。
「姫様の……御心のままに」
「言うと思いましたわ」
 その返答に少しばかり呆れた様子で笑うと、フィアノーラはつい、と蝶亭の外に目線を向けた。
 その視線の先には、世界樹がある。そしてその地下の迷宮を、更に奥へと進んだ先に深都があり、機械の王と僅かな住人とオランピアがいる。
 彼らは、この百年ずっと人知れず戦いを続けていた。誰にも知られることなく、ひっそりと。
 時に秘密を守らんが為に冒険者に手をかけてさえ。
 脳裏にムロツミと言うギルドに所属していたシノビの少年とゾディアックの少女の顔が浮かび、フィアノーラの目線が険しくなる。
 彼らは哀れだったが、冒険者としての道を選んだ以上どうしても死はつきまとうもの。それを思い、フィアノーラは小さくため息を吐く。
「……彼らの世界は、狭すぎますわ」
「そう、思いますか」
「思いますわ」
 答えてフィアは、柔らかく微笑む。
「わたくしは、彼らに付こうと思います。海の底にいる……深海の王に」
 すいっと人差し指を伸ばして、世界樹の、その先にある今は見えない深都を指さす。その動作を見て、ヤドリギがほんの僅かに目を細めた。
「お決めに、なられたのですね」
「わたくしは、思うのです。彼らについて、彼らをもし世界樹から解放することが出来たならばその時……あの深都の王は、再び地上に出られるのではないかと。百年もの間、ただあれだけの人数で孤独も同然に戦い続けるなど……悲しいではないですか」
「それで……深都を選ぶと?」
「あなたは、どう思いますの」
 逆にフィアノーラが訪ね返すと、ヤドリギは小さく頭を振った。
「それもまた、一つの考えではあるものかと」
 反対でもなければ、賛成でもないその返答に肩を竦め、フィアノーラは困ったように微笑んだ。
「……大丈夫……深都に付いたとしても、海都の人々と敵対するわけではない……そうでしょう?」
「ええ……そうですね」
 囁き合い、頷き合う。
 それから、フィアノーラは目を閉じてしばし考え込む仕草を見せた。
 今の話をどう伝えるか、彼らはなんというか、付いてきてくれるだろうか、それとも……。
「……考えても、仕方ないですわね」
 腹を括った。
 彼らは自分の判断に任せると言ってくれたのだ。ならばきっと、この心配も杞憂に終わるだろう。
「行きますわよ」
「はい、姫様」
 両手に力を入れて、テーブルに手を付いて立ち上がる。
 二人の視線は自然と、再び世界樹の方へと吸い寄せられた。
「戦いましょう、ヤドリギ。この先にある、全てのものと」
「はい、姫様」
 凛とした声音で言い放ち、まっすぐに背筋を伸ばして立つその姿は気品があって美しかった。
 ヤドリギはそんな彼女をまぶしそうに見上げながらも、隣に立つ。
 会計を済ませて蝶亭を出ると、分かっていたことだが完全に日は落ち、夜空には星が瞬いていた。
「世界樹と魔は、あの向こうから来たといっていました……それは、どのような旅だったのでしょう」
 天を差しながら夜空を見上げ、呟く。
 ヤドリギもまた、同様に夜空を見上げながらぽつりと呟いた。
「それはきっと、僕らには想像も付かないような長い長い旅だったのでしょうね……」
 少しの間だけ二人で星を眺め、再度顔を見合わせる。
「では、宿に戻りますわよ。皆、待っているはずですから」
「はい、そうしましょうか」
 言って、二人は歩き始めた。
 それはただ宿に向かうからと言うだけでなく、強い決意を秘めた足取りで。

 これからの苦難に満ちた道のりを、歩き続けることを誓うかのように。

Auther:春月 灯

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